Mario
2007.06.30(Sat)
これは知ってたんだけど



これにはウケた



芸が細かい……ワロス
『ドッペルゲンガー』
2007.06.30(Sat)
なかなか先行研究まとまらずイライラ
書けば書くほど、視点がぼやけていく

諦めかけた頃にZが帰宅

イカの一夜干しをあぶったのとインゲンのゴマあえと冷酒をアテに映画

ドッペルゲンガー ドッペルゲンガー
役所広司 (2004/04/23)
アミューズソフトエンタテインメント

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よく笑った(笑)

暴力的なシーンがやたらと多いのだけれど
全部、コミカルで笑ってしまう

私的にはユースケ・サンタマリアの振り回すレンチが
「シュポッ、シュポッ」って音だったのがハマってしまった(笑)
だって、人を殺してるのに「シュポッ」って……


それにしても役所広司は上手いなぁ

THE 有頂天ホテル スタンダード・エディション THE 有頂天ホテル スタンダード・エディション
役所広司 (2006/08/11)
東宝

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こっちも上手かったし

あとは何といっても永作博美
前から思ってたのだけど、ホントに悪女だよなぁ
小西真奈美と同じタイプの悪女だ
見るからにワルい女より、こっちの方が何倍も怖い



Jくんからご飯お誘い電話
ウチからお裾分けしたニラで餃子を作ってくれるらしい……ニヤリ

JSの作る餃子は美味しい
ビールをごくごく飲んで、どんどん焼き上がってくる餃子を食べる

070629_2159~0001.jpg

おまけにBUNちゃんがゴロゴロと喉を鳴らしてくれた
人見知りだから、やっと慣れてくれてのだ。嬉しい

あぁ、幸せだ
『永遠のモータウン』
2007.06.29(Fri)
永遠のモータウン 永遠のモータウン
ドキュメンタリー映画 (2004/11/25)
東北新社

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ちょっと前に観て、MOTOWN好きの私にとってはタマらなかったんだけど
amazonのレビューで気になるものを発見

レビューによると
なんでも、MOTOWNの録音の半分以上はLAで行われていて
演奏もFunk Brothersと同数、あるいはそれ以上が
別のミュージシャンによってされていたらしい

えーーーーーっ!
映画のコンセプトと全然違うし、イメージとも違う
慌てて検索すると、どうやら事実っぽい

Four Topsの"Reach Out, I'll Be There"(やっぱり好き)が
Carol Kayeの演奏だったなんて……絶句

さらに検索して読みふけったのは「MOTOWN Mystery」
うーーん……再び絶句

Carol Kayeのオフィシャルサイトに彼女の簡単な経歴があって

Beach Boys――"Good Vibrations""California Girls""Pet Sounds(アルバム全部なんだ……)"
Ray Charles――"I Don't Need No Doctor"
Stevie Wonder ――"I Was Made To Love Her"
Diana Ross――" Someday We'll Be together""Ain't No Mountain High Enough"
Marvin Gaye & Tami Terrell――"Ain't Nothin' But The Real Thing"
Monkees――" I'm A Believer"
Doors――" Light My Fire"
Supremes――"Can't Hurry Love""My World Is Empty Without You"(かなり多い模様)

……目がチカチカする
それにしても……はぁぁ、なんてことでしょう
知らなかったなぁ、こんなに長い間聴いてきたのに
ショックだ……



急がば廻れ’99―アメリカン・ポップ・ミュージックの隠された真実 急がば廻れ’99―アメリカン・ポップ・ミュージックの隠された真実
鶴岡 雄二 (2002/11)
音楽之友社

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さっそくポチりました
『真夜中のカーボーイ』
2007.06.28(Thu)
真夜中のカーボーイ 真夜中のカーボーイ
ジョン・バリー、ダスティン・ホフマン 他 (2006/02/01)
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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ジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマン
(……ジョン・ヴォイトってアンジェリーナ・ジョリーのお父さんだったんだ。知らなかった)
1969年のアメリカン・ニューシネマの代表作
アカデミー賞受賞

吉田秋生がインタビューで言っていたけれど
私にとっても、これがヤオイの原点

セジウィックのホモソーシャル理論をそのまま当てはめるのは無理があるけれど、
彼らの関係は「ホモソーシャルな関係」だろう
ホモフォビアとミソジニーが男同士の関係を強固にするっていう説の典型ではないだろうか?

ここらあたりをもうちょっと詳しく見ていかなきゃ
学校
2007.06.26(Tue)
性体験 性体験
ナオミ・ウルフ (1998/02)
文藝春秋

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ナオミ・ウルフの話をしていて
『性体験』と『美の陰謀』の内容がこんがらがってしまって

おまけに
性の神話を超えて―脱レイプ社会の論理 性の神話を超えて―脱レイプ社会の論理
スーザン グリフィン (1995/04)
講談社

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読みかけ放置中のスーザン・グリフィンやら

セックス、アート、アメリカンカルチャー セックス、アート、アメリカンカルチャー
カミール パーリア (1995/09)
河出書房新社

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カミール・パーリアのことまで話し出してしまって
喋れば喋るほど何を言ってるのか自分でも分からなくなってきて撃沈

最近、こういうの、おおいなぁ……
日曜日
2007.06.26(Tue)
ライブは面白かった
3バンドとも違うタイプだったから余計に

Popium Popium
Popium (2001/11/06)
MNW

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好きでよく聴いているアルバム
オープニングのバンドが、少し似てた気がする
おおざっぱな印象だけど
『暴動』スライ&ザ・ファミリー・ストーン
2007.06.24(Sun)
暴動 暴動
スライ&ザ・ファミリー・ストーン (1997/01/22)
ソニーミュージックエンタテインメント

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こつこつと『やおい小説論』をまとめていたら、
久しぶりにT史から電話

「こんにちは、今日ごはん食べに行っていいですか?」
「いいよ。何時頃?」
「7時くらいかな」
「分かった〜、じゃあね」

トントンと話は進み、まとめ作業を放り出し買い物へ

冷凍してあった豚の塊を、大量の生姜を投入して丸ごと茹で
スーパーで買ったわかさぎを南蛮漬けに
あとは普段通りの野菜

T史は緑エビスとラガー持参
Zはスパークリングワインを帰りに買ってきてくれた

先月亡くなったT史のお母さんと
もう逝ってしまって2年になるシンヤに乾杯

話はつきない
食べて飲んで、お皿が空けば再び料理して

スライの『暴動』のスゴさについて三人三様の思い
三人三様の音楽との距離

面白かったよ、また来てね
『イン・ハー・シューズ 』
2007.06.23(Sat)
イン・ハー・シューズ イン・ハー・シューズ
キャメロン・ディアス (2006/04/07)
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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いい映画でした(長かったけど……)

キャメロン・ディアスがすごく可愛くて、上手かった

 

何よりも一番よかったのは、フロリダのお婆ちゃんたちのカラフルさ

姉妹の住む街が、薄曇りでどんよりとした色彩だったのと対照的

お婆ちゃんの力を借りながら自信をつけ再生していく姿が

明るくカラフルな街の風景と重なって微笑ましかったです

 

学習障害というハンデがある妹と、キャリアはあるけれどサエない姉

精神を病んでいた姉妹の母である娘を助けられなかったお婆ちゃん

そんな彼女たちを支えるおんな友達

この映画はおんなの友情(世代をも超えた)が描かれているんだなぁと思いながら観てました

 

 

『ハチミツとクローバー』
2007.06.23(Sat)

ハチミツとクローバー ~恋に落ちた瞬間~

 

ハチミツとクローバー ~恋に落ちた瞬間~
櫻井翔、 他 (2006/07/14)
角川エンタテインメント

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なんとなくレンタルしてみた
原作の方がいいんだろうな、なんて思いながら
結構、じっくりと観る

いろんな意味でリアリティはなかったのだけれど
それでも、「ウラヤマしいな、美大生」って感じ
あんな学生生活はファンタジーで、きっと誰も経験できない
だけど――
片思いだとか、ぎこちなさだとか、
そういうのって、いつまでもあるわけじゃないんだよね

過ぎた日々への懐かしさが、少し心地よくもありました

爆笑した
2007.06.23(Sat)



友達カワイス
『やおい小説論―女性のためのエロス表現』永久保陽子
2007.06.22(Fri)
やおい小説論―女性のためのエロス表現 やおい小説論―女性のためのエロス表現
永久保 陽子 (2005/03)
専修大学出版局

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モニョったところだけup


 永久保は詳細なテクスト分析を行っているのだが、その対象は小説で商業マーケットに流通している作品のみに限定されている。しかし、この限定をもってしても、ポルノグラフィという側面を肯定的に考察した点や、381冊(1996年に発行された)に及ぶ作品のデータ化からヤオイの典型例を知ることができる点、などから示唆に富む著作であるといえる。

 永久保は「やおい小説」を論じることとは、「<受>と<攻>が何者か」を知り、「男性同士の設定の理由」を解明し、「女性「読者」を惹き付ける魅力の謎」を解き明かすことである(:8)とする。永久保によれば<受け>は「ジェンダー的女性性」を備えているが、同時にその過剰な女性性を抑圧する男性性も持つ。<攻め>は「ジェンダー的男性性」を備えているが、同じく過剰な男性性を抑圧する女性性を持つ(:71)。この「ジェンダー的女性性・男性性」とは、「女性性役割・男性性役割」を指すと考えて良いだろう。ヤオイは、女性である作者や読者に投げかけられる「女性性役割」から逃避するために、男性同士の設定を選んだのだという論旨は、これまで様々に指摘されてきたとおりである。

 永久保の最初の提議に倣うならば、「<受>と<攻>が何者か」という問いに対して、<受け>とは女性性が投影された男性であり、<攻め>とは過剰な男性性が抑えられた男性である。二人は恋愛関係にあるが、多くの場合、共にヘテロセクシュアルという性的指向を持っている。そのため、男性同性愛カップルとは言い難く、疑似男性同性愛とでもいうべき形態にある、といえるだろう。
 「男性同士の設定の理由」とは、女性に向けられる女性性役割、女性性役割規範への否定的感情によって、女性キャラクターが物語世界から排除されていることにある。またヤオイ読者と作者の大半が女性であり、ヘテロセクシュアルであると考えられ、欲望の対象が男性であることも大きな理由である。
 「女性「読者」を惹き付ける魅力の謎」とは、<受け>にも<攻め>にも同時に同一化できる構造をヤオイが持つこと。ヤオイ以外の作品にはない、女性が<攻め>に同一化することによって「能動的」視線を獲得できることにある。

 こういった永久保の論旨は概ね同意できるものであり、これまでの先行研究を詳細なテクスト分析で裏付ける箇所もあるといえる。しかし、いくつかの点で異論を唱えたい。

 まず、<受け>に女性性が、<攻め>に抑えられた男性性があると述べられていたが、永久保によれば、このような性差の持ち込みはヤオイのカップルを「ヘテロセクシュアルのカップルに擬装」(:101)させるものであるという。そしてこの擬装が、ヘテロセクシュアルである読者の「セクシュアリティの齟齬」を和らげ、「ホモセクシュアル(男性同性愛)を異端とする社会的コンテクストの介入」を排除する(:101)のだと結論づけている。
 ヤオイのカップルが「女性性役割」「男性性役割」を果たし、また溝口の指摘にもあったように、主人公によるゲイネスの否定などから、ヤオイは「男性同性愛」とは異なるものであるということはいえるだろう。「疑似男性同性愛」と言い換えることも可能だ。
 しかし、「ゲイ・カップルではない(=異性愛者だと主張する男性カップル)」ことと、「ヘテロ・カップルの擬装」はイコールで繋がれるものではない。もちろん、私たちが現実に生きる社会では、「異性愛/同性愛」という二項対立的思考が大きな力を持っている。
 だが、ヤオイにおいてそもそも排除されるべき「社会的コンテクスト」は、「女性に深く投射された女性性役割」であったはずである。「ゲイが社会的に認められない」ものであるからヤオイ世界から排除しているのではなく、ヤオイ世界から女性を排除したためにカップルは男性同性愛の形態をとり、それは現実のゲイ・カップルとは無関係なものであった、と捉えるべきではないだろうか。
 <受け>に女性性が与えられるのは「ゲイが社会的に認められない」ためではない。なぜ<受け>が女性性役割を受け持つのかという問題設定と、この社会的コンテクスト、社会的規範とそれを良しとする思考とは分けなければならないのだ。
 また、物語世界で「同性が同性を愛する」ことと、その物語を異性愛者が楽しむこと、そして、女性である読者が異性であるキャラクターと彼らによる物語を楽しんでいること、これらはすべて異なる位相にあるはずである。そして何よりも強調しなければならないのは、「ゲイが社会的に認められない」という「社会的コンテクスト」が、ヤオイにおいては物語をよりドラマティックに強化するツールとなっている点である。

 この見落としが、<受け>と<攻め>の関係が唯一絶対なものであることの意味の見落としに繋がる。「ゲイが社会的に認められない」という「社会的コンテクスト」は、ヤオイをよりドラマティックに演出するツールである。「認められないもの」であるがゆえに、二人の恋愛関係はより切実に、より絶対的な結び付きへと昇華するのである。永久保はヤオイにおけるタブーは「レイプである」としているが、より最大のタブーは「同性愛」ではないか? もちろん、この「同性愛」は現実のホモフォビアではなく、「認められないもの」としてのメタファーであることはいうまでもない。「社会的コンテクスト」において「認められないもの」とされているからこそ、「同性愛」設定がヤオイの中でファンタジーとして機能するのである。ヤオイ愛好家にゲイフォビアがある/ない」という問題は、次元が違う。ヤオイ世界で用いられるのは、社会的に同性愛が「認められないもの」である、という文脈自体なのである。


 ヤオイという現象は確かに存在しているが、受け手の多様性がそれを成立させている。
 よって、現象のすべてを説明するのは無理なのだ。
 ただ、今までにない方向性や何かを、
 ヤオイがある一定量をもって示していることは間違いないだろう。
 そして、それは二項対立的なものではない。
 既存のものを含み、そうではないものを指しているのだ。
 それが「関係性に萌える」ことだと思われる。
いろいろ忘れてしまう
2007.06.22(Fri)
修論を書くために、毎日パソコンに向かっているのだけど、
どうも効率が悪いような気がする
いろんなソフトを立ち上げながら
タブブラウザもたくさん開いて
何をやってるか途中で忘れるような
自分のためだけに使ってみようかな、なんて思いついて
はじめてみようか、と