『シュミじゃないんだ』三浦しをん
2007.08.14(Tue)
![]() | シュミじゃないんだ 三浦 しをん (2006/10) 新書館 この商品の詳細を見る |
あまりに暑さに図書館に行き、あっという間に読了
気になった箇所を抜き書き
たぶん一九八〇年ごろまでは、「純愛」の末に二人は結ばれました、おしまい。で、物語は完結し、少女漫画読者は満足していたのだ。ところがそのうち、「私はこれでは満足できない。二人が互いに寄せる気持ちを確認しあった、その先を読みたい」と思うひとが増えてきた(: 30-31)
三浦の指摘する1980年という年代が正確なのかどうかは分からない。しかし、少女マンガが「恋愛の成就」までを描くものであり、そこに至る過程に生じる「どうしてあのひとを愛してしまったんだろう」、「あのひとを愛する私は、どうしてこの世界に存在することになったんだろう」という疑問、すなわち「ひたむきに己の内部を探っていたもの」(: 32)が同時に描かれていたという点は頷ける。
そして、「いまや、伝統的な少女漫画のテイスト(切なさとかトキメキとか繊細な心理描写とか)を一番色濃く継承しているのは、現在の少女漫画ではなく」(: 33)BLであるという考察に、留保をつけつつ頷く。
少女マンガが「恋愛の成就」までを描いていたのは、「恋愛」自体が「憧れの対象」になっていたからではないだろうか。「自分探し」的なものは、少女マンガのメインとなるテーマではなく、「恋愛」に付随して描かれていたように思える。だとすれば今もその形は変わっていないのかもしれない。
「恋愛」が「憧れの対象」であることは、きっと、今もそうなのだと思う。今の少女マンガだって「恋愛」で埋め尽くされているし、レディースコミックだって「恋愛」抜きでは描けないだろう。
異なるのは、「恋愛」と「セックス」が深く繋がっているということを読者が知り、その物語を求めるようになったということではないだろうか。
昔は「恋愛」と「セックス」が別だと考えられていたと言いたいわけではない。ただ、少女マンガにおいて、「セックス」は「恋愛」の延長線上にあるものであり、だからこそ、「恋愛の成就」が描かれれば物語が「終わり」を迎えることが出来たのだ、ということを強調したいのだ。
一方、BLは「恋愛の成就」、または「恋愛の成就」と「成就後」を描くものである。BLは性描写が多い。
心の交流や葛藤とともにあるセックス。そういうHでなければ、そこに幸せも満足も喜びも苦しみも生じうるはずがない、ということをよく知っているからだ(:55)
BLが「心の交流のあるセックスシーン」を求めているのか、「セックスシーンに心の交流」を求めているのか、読者や作者にとって大きな違いがあると思う。だがこの点は、BLのエロティックな描写をどう考えるかという時のヒントになると思う。
Comment
TrackBack
| Home |
